河本孝之

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自宅にて。2007年撮影。

河本 孝之(かわもと たかゆき、昭和43年9月20日(1968年9月20日)- )は、日本の会社員である。現在、某社で情報セキュリティ事務局の責任者、および個人情報保護管理者(CPO)を担当。

※ちなみにですが、以下の記載は客観的なものでありません。当然ですが、僕自身が書いているからです。それから、「CPOなのにどうして個人情報を隠さないんだ?」と思う方は、個人情報保護法を勉強して下さい。個人情報保護法は「情報を隠す」ための法律ではありませんし、個人情報とプライバシーは違います。個人情報にせよ、プライバシーにせよ、公開する・しないの判断は本人の自由です。

目次

人物像

  • いわゆるクロスドミナンス(矯正右利き)であり、野球は両打ち両投げ、サッカーの蹴り足は左、筆記は右である。箸も両手で扱えるが、主に右手で持つ。

主な活動と業績

  • 専門は科学哲学で、因果関係、確率、自然法則、普遍、随伴関係、デイヴィット・ヒューム、ルドルフ・カルナップをテーマとしていた。詳しくは philsci.info を参照のこと。(2011-08-5: philsci.info は MarkupDancing に統合しました。)
  • 会社員としては、情報セキュリティマネジメントシステムの実務とウェブアプリケーション開発、サーバ管理からHTMLコーディングやドメインの取得管理などもやっている。こちらは MarkupDancing を参照のこと。
  • 所属学会・団体は、日本科学哲学会The Interaction Design Association である。

あ、業績が何もねぇじゃん(笑)

年譜

  • 昭和43年(1968年)9月20日 - 東京都目黒区緑が丘で、父敏之、母君子の長男として生まれる。祖父である河本孝一の「孝」と父の「之」を一字ずつとって命名された。ちなみに母親はいちど中絶しており、兄になったかもしれない胎児は「譲(ゆずる)」と名付けられるはずだったという。また孝之も中絶される可能性があったようだが、やはり産むことにした母親曰く「人生を兄から『譲』られたのだろう」。
    • 出生は目黒区東が丘の国立東京第二病院であった。出生時の身長は57cm、体重3.8kgの大きな赤ん坊で、面会に来た両親は遠くからでも様子が分かったらしい。
  • 両親と共に父親の実家である大阪市に転居。
  • 大阪府八尾市に転居。
  • 昭和50年(1975年)3月 - 大阪府八尾市立山本保育所を卒園。
  • 昭和56年(1981年)3月 - 大阪教育大学教育学部附属天王寺小学校を卒業。(ソースはないが保育所から附属天王寺小学校に入学した初めての生徒だったらしい。)
    • 小学校では国語の奥野先生が板書を美しく書くことに感心し、なぜか書道やペン字ではなく板書を上手く書く練習をして、中学へ上がるまでには殆どの教師より上手くなった。そのため、中学以降は書記やホームルームの板書担当を任されることが多かった。
  • 昭和59年(1984年)3月 - 大阪教育大学教育学部附属天王寺中学校を卒業。
    • 中学時代は殆ど考古学ばかり勉強していたが、たまにプラモデルを作ったりしていた。お気に入りは「ダグラム」のソルティックと、「ボトムズ」のスタンディングトータス。
    • 中学では当然のように社会科クラブへ入部し、3年生では部長を勤めた。
  • 昭和62年(1987年)3月 - 大阪教育大学教育学部付属高等学校天王寺校舎を卒業。
    • 高校2年で自治会の副会長に選任される。立候補の公約は「附高祭の再考」で、筋道の通った理由がないかぎり「伝統だから」というだけで文化祭をやるのは時間の浪費であるという公約を掲げた(笑)。なお、所属していたクラブは、陸上(2年まで。専門は200mと三段跳び)、ESS(部長)、地理歴史研究部、数理研究部(部長)、放送部、文藝部。物理部にも入っていたような気もする。
    • 実質、高校1年で考古学から歴史哲学やフランス思想に関心が移る。日中は読書をしてから、終礼の終わる時間帯に登校するという生活を続け、高校時代は全ての教科が出席日数不足であった。
  • 昭和62年(1987年)7月 - 東京都千代田区神田神保町の株式会社デジタルネットワークに委託社員として入社。『月刊CDay』編集部でクラシック音楽CDやコンサートの取材、記事編集を担当する。
  • 昭和63年(1988年)5月 - 同社が資金難で解散。元社長に他の出版社を紹介されたが、大学へ入り直すことにして帰阪する。
入学案内に掲載されたときの写真
  • 平成元年(1989年)4月 - 大阪経済法科大学法学部法律学科に入学。入学試験優秀者として入学金を免除される。
  • 平成元年(1989年)6月 - 東川崎町遺跡(三菱倉庫敷地内)の発掘調査に補助として参加。
  • 平成5年(1993年)3月 - 大阪経済法科大学法学部法律学科を卒業。学士(法学)。専攻は刑事法学(武田誠ゼミ)と法哲学・法社会学(独学)。
  • 平成6年(1994年)4月 - 関西大学大学院文学研究科、博士課程前期課程(哲学及哲学史研究第I講座)に入学。合格は1993年の秋期試験。指導教官は竹尾治一郎。
  • 平成8年(1996年)3月 - 修士論文の出来栄えに不満があり、学位論文を取下げて留年する。
  • 平成9年(1997年)3月 - 関西大学大学院文学研究科、博士課程前期課程(哲学及哲学史研究第I講座)を修了。「確率的因果性の概念」で修士(文学)の学位を受ける。
  • 平成10年(1998年)4月 - 神戸大学大学院文化学研究科(博士課程、文化構造専攻科学基礎論専修)に入学。指導教官は森匡史。
  • 平成10年(1998年)4月~平成10年(1998)9月 - 神戸大学教務助手(学部講義:科学哲学)
  • 平成11年(1999年)10月~平成12年(2000)3月 - 神戸大学教務助手(修士演習:科学哲学)
  • 平成12年(2000年)4月~平成12年(2000)9月 - 神戸大学教務助手(修士演習:科学哲学)
  • 平成13年(2001年)3月 - 神戸大学大学院文化学研究科(博士課程、文化構造専攻科学基礎論専修)を中退。
  • [... この間、色々とあって ...]
  • 平成18年(2006年)7月 - 某社にシステム系ディレクターとして入社。
  • 平成18年(2006年)11月 - 某社のシステム部長となる。
  • 平成19年(2007年)1月 - 某社の取締役(システム部長兼任)となる。
  • 平成20年(2008年)1月 - 某社の取締役とシステム部長を退き、情報セキュリティ事務局の個人情報保護管理者(CPO)となる。
  • 平成20年(2008年)12月 - 某社のシステム部長を再び兼任。
  • 平成23年(2011年)2月 - 某社の情報セキュリティ事務局責任者(専任)となる。

思想

  • 発表された修士論文等に示されているように、因果関係を(マリオ・ブンゲの分類による)存在論的カテゴリーではなく認識論的カテゴリーと見做す「因果の反実在論」を支持し、因果法則と自然法則には随伴関係(supervenience)が成立するのではないかと考えている。博士課程では、この趣旨に沿って数理哲学も展開し、確率の存在論的ステータスを研究する予定であった。
  • 考古学では森浩一、瀬川芳則、哲学では竹尾治一郎、森匡史、中才敏郎、中澤義和(フランス哲学)、高校時代の担任だった岩城一郎(京都大学修士課程、ギリシア哲学)の指導を受けた。
  • 最近の「通常科学化した=パズル解きの分析哲学・科学哲学」の、いわゆるジャーナルアカデミズムだけで業績を残す一発屋の研究者は、ただの「おりこうさん」「自然科学オタク」としか思っていない。また、単に既存の学説を歴史に対する無知(あるいは歴史的再構成という訓練の欠如)から否定するような、見た目だけのラディカリティや<独創性>にも懐疑的である。しかし他方で、古典解釈はやるべきとしても、それだけに没入して終わっているような研究者にも冷淡である。

The Philosophy Family Tree での位置

0 Root
.. 1 Root1
.... 2 Gottfried Leibniz
...... 3 Christian Wolff
........ 4 Martin Knutzen
.......... 5 Immanuel Kant
............ 6 Karl Reinhold
.............. 7 Friedrich Adolf Trendelenburg
................ 8 George Sylvester Morris
.................. 9 Josiah Royce
.................... 10 Clarence Lewis
...................... 11 Nelson Goodman
........................ 12 Jiichiro Takeo
...................... 11 ???
........................ 12 Masafumi Mori

.......................... 13 Takayuki Kawamoto

参考: The Philosophy Family Tree

著作

  • 「ヒュームの関係概念」(学部に卒論の制度がなかったため、代わりに竹尾治一郎へ提出したもの)
  • 「因果関係項」、『関西大学 哲学』(17), 65-87, 1997-01.(CiNii)
  • 「確率的因果性の概念」、修士論文(関西大学、1997年受理)
  • 「Boolean Closureと随伴関係」、『愛知 : φιλοσοφια』(15), 5-15, 1999.(CiNii

翻訳

資格・他人の評価

  • PHP開発者の資格である Zend Certified Engineer を取得。(ClientCandidateID: ZEND001701; RegistrationID: 213909802)
  • 英検、スキー、そろばんの級を保有している。級位は特筆するほどのものではない(というか忘れた)。
  • Windows用の互換シェルであるLiteStepのコミュニティでは日本のユーザとして知られており、国内でも2ちゃんねるなどに出没していた。

その他

  • 父方の実家は山口県大島郡(周防大島=屋代島)で、母方の実家は岩手県気仙郡住田町である。どちらも民俗学にゆかりがある土地と近いのは偶然である。
  • 小学校の高学年から高校までは考古学者を志望しており、東大阪市に住んでいた頃は東大阪市立郷土博物館の職員が使う部屋を自由に出入りしていた。また森浩一(当時:同志社大学教授)の特別講演を中学校で開催してもらっていた。
  • 20代に河本英夫と間違われ、辞典に載せる項目の執筆を打診されたことがある。
  • 先輩からの又聞きなので全く証拠はないが、関西大学大学院を受けたとき英語の成績は人文系の受験生でトップだったらしい。逆に神戸大学大学院を受けたときの英語は第二外国語のドイツ語よりも成績が悪かったらしい。

家族

  • 父:敏之 - 元印刷会社の製版部長
  • 母:君子 - 准看護婦
  • 妻:同棲中につき非公開
  • 祖父:孝一 - 故人。元大阪府庁職員
  • 祖母:冨子 - 故人。

関連文献

  • 阿久津良和「特集・新年は新しいWindows Shellで飾ろう!」、マイコミジャーナル(2001年、但しリンク先のページに掲載されている URL は古い).
  • 『東川崎町遺跡(三菱倉庫敷地内) 神戸ハーバーランド建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書』(1989年10月、東川崎町遺跡調査会).

パブリシティ

関連項目

  • philsci - Yahoo! JAPAN オークションに登録している別人
  • 河本孝之 - 株式会社丸昌さんの支店長さんですね。もちろん別人
  • Mario Bunge - 科学哲学者。
  • Bastiaan Cornelis van Fraassen - 科学哲学者。
  • 原田大六 - 考古学者。
  • 森浩一 - 古代史学者、考古学者。河本が小学校時代に同志社の研究室へ尋ねていったことがある。中学時代には森を招聘して特別講演会を開いたことがある。
  • 瀬川芳則 - 考古学者。河本が考古学を志していたときの恩師で、文化人類学や民俗学も専攻。関西外国語大学教授。
  • 西田光男 - 中学時代の社会科クラブ顧問。河本を瀬川芳則に紹介した。常磐会短期大学講師。
  • 岩城一郎 - 高校時代3年間を通して担任だった(現代社会、公民を担当)。京都大学の修士課程ではプラトンを専攻したらしい。高校時代はフランス現代思想に傾倒していた河本に『国家』と『テアイテトス』を読むように薦める。
  • 中澤義和 - 哲学者。学部時代の恩師で教養学部助教授(当時)。河本は法学部だったため、個人的に指導を受けた。大阪経済法科大学教授。フランス哲学。
  • 竹尾治一郎 - 哲学者。修士課程(博士課程前期)時代の指導教官。関西大学名誉教授。
  • 森匡史 - 哲学者。博士課程時代の指導教官。神戸大学名誉教授。
  • 中才敏郎 - 哲学者。修士課程時代に関西大学へ講師として招聘されていた。大阪市立大学教授。

河本自身のサイト

  • MarkupDancing(takayukikawamoto.com, markupdancing.com も、このサイトへリダイレクトさせている)
  • philsci.info(現在は閉鎖して markupdancing.net へ転送)
  • crossedge.net(現在は閉鎖して markupdancing.net へ転送)
  • inferenza.org(プライベートで運営。argument map を編集するオンラインツール)

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